まだTwitterで消耗してるの?”離Twitter”が私にもたらした影響

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2020年5月28日、Twitterに私はこのようなpostを投げました。

これ以来、ブログの更新告知以外でTwitterへ投稿していません。(たまにTLを見てはいます)
このpsot自体はネタでしたが、結果的にTwitterからしばらく離れる「離Twitter(「りついったー」とでも読んでください)」を実行したところ、精神的な変化があったので、それを報告します。

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私のTwitterの使い方を簡単に

恐らく多くの人がそうであるように(?)、私はTwitterのアカウントをいくつか所有しています。 (1)看護アカとか、稼動してないけど本名アカも一応ある
とは言え、メインのアカウントである「@KTsubasa」で、基本的には情報収集をしたり、交流を図ったりしています。
フォロー数が1300を超えており、タイムラインが追えないため、リスト機能を使って、ある程度”選別”した形で追うと同時に、その時々でタイムラインに表れた話題を見たり、それに反応したりするという使い方をしていました。

時々「猛毒」が流れてくる

タイムラインは自分で作るものという持論は10年前から持っています。この考えはずっと変わりませんが、とは言え、多人数をフォローしていると、時に「猛毒」が流れてくるのも事実です。
とくにRTされたものに顕著です。
例えば政治的スタンスが自分とまるっきり違うpostであったり、地域のdisりネタであったりです。
以前はこう言った話題で自分の考えを投げたりしていましたが、だんだんと「猛毒」と感じるようになり、疲弊している自分がいました。

離Twitterで精神的にささくれ立つことが劇的に減った

これが一番大きいですね。
「猛毒」なpostを見る事や、それに対して感情を左右されることが減ったため、結果として精神的にささくれ立つことは減りました。
見る事自体が減ったこともそうですが、万が一「猛毒」なpostを見ても「postしない」事で自分の考えが暴走しない=そこまで荒れることがないという好影響が出ています。
もちろん、Mastodonへ投げることも稀にありますが、そちらはそちらでTwitterほど荒れた感じにはならないため、やはり精神的に荒れることが減っています。

時間を持て余すことが多少増えた

ある意味で「つい廃」でしたので、多少時間を持て余し気味になったことは否めません。
ただ、postしないことが普通になってくると、なんだかんだでMastodon見ていたりとか、他のことをしたりとかしていますので、なくてもなんとかなると思っています。

Twitterは思考を暴走させ、精神を消耗させる

離Twitterをしはじめてからも、たまにタイムラインは見ていますが、思考が暴走してそうなpostが流れてくることがよくあります。
正直、疲れませんか?
精神を消耗させても良い事ないですよ。
一度、離れてみませんか?

References[+]