就職してから150人ぐらい看取った私が思う「穏やかに最期を迎える方法」

今年最後の更新にふさわしいかどうかはともかく、ふと思った事を書きます。
スマートフォンのニュースアプリ、SmartNewsで見つけた記事から。

1000人の看取りに接した看護師が伝える、人が最期の時に心の底から求めるものとは何か
16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に接してきた看護師が伝える、家族など身近な人の死や自分の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいこと

1000人の看取りに接した看護師が伝える、人が最期の時に心の底から求めるものとは何か(DIAMOND online 2018年12月29日配信)

なお、この記事では紹介する事例に関して、個人情報に関わる部分については本筋を変えない程度に改変を施しています。

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私もこの3年数ヶ月で何人もの看取りに関わってきた

私の勤務する病棟はいわゆる療養病棟ですが、看取りも行っています。一年間に40〜50人を看取っています。
就職してから150人ぐらいが何らかの形で亡くなって行ったことになります。
もちろん、全ての事例に深く関わったわけではありません。
受け持ち患者さんだけなら10人前後、勤務中に亡くなった方という意味では…20人かそこらですかね……
いずれにしても、途中で数えるのをやめる程度には多くの方の最期に立ち会ってきました

穏やかな最期とはなんだろう

勤務先の病棟に入院することになった患者さんには様々な背景があります。
その中で、穏やかに亡くなっていった人もいれば、とても穏やかとは言いがたい亡くなり方をした人もいます。
穏やかな最期ってなんなんでしょう?
眠るようにそして枯れるように亡くなっていく、それが穏やかなんじゃ無いかなと思います。
いくつか印象的なケースから紐解いていきたいと思います。

印象に残っているケース1「入浴後に息を引き取った」

70歳代の女性Aさんは、若干認知症がありますが、比較的会話もできる方でした。
しかしガンを煩っており、家族も積極的な治療を望んでいないことから、緩和ケア的な関わりを行っていました。
ある入浴日、私は先輩スタッフとともに、そのAさんの入浴介助を行いました。
普段より元気はない様子でしたが、それでも入浴後に「ありがとう」と一言。車椅子に移乗してもらい、他のスタッフに連れられて病室へ帰っていきました。
その後、他の患者さんの入浴介助を行っていたら、病棟がバタバタとしだしました。
なんかあったのかな?と思っていたら。先輩看護師が来て「Aさんが亡くなってた」と。
先輩スタッフと「さっき風呂の時、別に変なことなかったよな?」「ちょっと元気は無かったけど、でも別に亡くなるような様子では…喋ってましたし…」と顔を見合わせました。
入浴介助が全て終わったあと、先輩看護師に聞くと、
「入浴後にベッドに座っていたのは確認した。20分ぐらい後にたまたま別な患者さんの介助で部屋に行ったら横になってて息をしてなかった。でも苦しんだような顔では無かった。」

入浴時に亡くなるケースはよく聞きます。Aさんの場合は、入浴後も普通にされていました。ですが、部屋に帰った後亡くなってしまったのです。
ガンもあり、緩和ケア的な対応をしていたとは言え、しんどかったとは思います。
でも、最期を迎える直前に入浴介助をさせていただくことができたこと、そして苦しんだような顔では無かったことから、多少なりとも穏やかな最期を迎えることができたのかなと感じたケースでした。

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印象に残っているケース2「家族全員から拒絶されていた」

80歳代の女性Bさんも、やはり認知症で寝たきり、経管栄養を行っている方でした。
可愛らしい方で、認知症で多少辻褄が合わなかったりしますが、病棟のスタッフでBさんを嫌いだと言う人はいない方でした。
しかし、成年後見人が付いていることも関係しているのか、家族の面会はほとんどありません。
過去の情報や以前いた施設からの申し送りでは、若い時はかなり家族に迷惑をかけるようなことがあり、ほとんどの家族から縁を切られていたようです。
年月の経過とともに、身体機能は衰え、重度の肺炎になったとき、家族へ治療方針を相談することになり、連絡を取ろうとしましたが、連絡が付きません。
成年後見人は「生命に関わる事は私には判断できない」の一点張り…
そして、方針が定まらないまま、急変を起こし息を引き取ったのです…
死後、ようやくかなり遠縁の親族と連絡が付きましたが、後の事は病院でなんとかしてくれとのことで、行政と相談し、確か直葬になったと思います…
家族から拒絶された最期を迎えたBさん、穏やかな最期とは言いがたいよな…自分が招いたこととはいえ、さみしかったろうな…と感じています。

生きていても死んでるのと変わらないんじゃないかと感じることもある

よくあるケースとしては、食事を誤嚥するようになり、経管栄養を導入してその後も何年も生きるという物があります。Bさんはまさにこのケースでした。
認知症の進行とともに身体機能が衰えていくと、自分の意思を示すことが難しくなります。
自分の意思を示せなくなると、家族や成年後見人(ついている場合)へ相談することになりますが、家族は連絡が取れないことがありますし、成年後見人も後見人となった人の考え方によってどこまでのことを判断するかが違います。
そのため、「経管栄養や点滴で命は繋いでいるけど、自分の考えは示せず、喋ることはできず、ただただ年月がすぎていく」状態に陥るケースをよく見ます。
もはや生きていても死んでるのと変わらないんじゃないか…仕事中にそう考えたことは一度や二度ではありません。
よく言われる延命措置として、人工呼吸や挿管といった事もありますが、こういった点滴や経管栄養も延命措置と同じだよな…と感じます。
もちろん、仕事として割り切って関わっています。しかし、同時に自分だったらイヤだなという感情もあります。

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自分の命の最期のあり方を意思表明しておこう

よく人生の終末期に向けて終活と称してエンディングノートを書いておこうと言う話があります。
その中にはターミナルケアに関わる内容もあるようです。
しかし、そのターミナルケアの実態はあまり知られていないように感じます。
さらに、家族と本人の考えにもズレがあることがあります。家族が「どんな形であっても長生きして欲しい」と思っていて、本人が意思の表出ができなければ、家族の考えが優先されてしまうこともあります。
自分はどのように最期を迎えたいのかを事前に細かに表明しておくこと、そして普段から家族にそれを伝えておくことが重要なんじゃ無いかなと感じます。
穏やかに最期を迎えるためには、それ相応の準備が必要です。
そして、最期が近くなったときに意思表明ができる状態であるとは限りません。
元気なうちから考えておくことが大切なんだろうなと思います。

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