玉島にも隕石が落ちてきた!〜富田隕石

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先日、ネットで「愛知県小牧市の民家に隕石が落下」という話題が駆け巡りました。

見たことない石 愛知県で宇宙から落ちた隕石が住宅の屋根を壊す」(Livedoor NEWS)
「隕石、民家にドスン 小牧、駐車場の屋根に穴」(中日新聞)
※いずれも2018年10月17日閲覧

この石が隕石と認められ国際隕石学会に登録されれば、日本では52番目に発見された隕石になります。
そう、隕石は珍しい存在なのです。

そんな珍しい隕石が玉島にも落ちていたことをご存じでしょうか?
実は筆者はその隕石を触ったこともあります(!
今回はそんな、「富田隕石」を紹介します。

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実は玉島とその周辺は宇宙との関わりが深い地域

玉島とその周辺は意外にも宇宙との関わりが深い地域です。
隣の浅口市には国立天文台岡山天体物理観測所があり口径188cmの望遠鏡で太陽系外惑星の観測を行っていました。また敷地内には京都大学3.8m望遠鏡「せいめい」が完成し、今年8月から観測を開始しています。

ライフパーク倉敷

また、高梁川を挟んだ反対側の水島地区のライフパーク倉敷には倉敷科学センターがあり、口径50cmの望遠鏡で毎月観望会が行われています。隣の真備町にあるマービーふれあいセンターには倉敷市真備天体観測施設「たけのこ天文台」でも毎週観望会が行われています。(なお平成30年7月豪雨被害のため、10月現在休館中です)
さらに倉敷市内には日本初の一般市民に公開された天文台である倉敷天文台があり、1926年の開設以来、多くの市民が星空に触れてきました。この倉敷天文台では、アマチュア天文家の本田実氏が数々の彗星や新星を発見したことでも知られています。

天文台はなくても宇宙から落ちてきた!

富田隕石落下地点石碑

1916年(大正5年)4月13日、浅口郡富田村(現在は玉島富田)に轟音とともにある物が落ちてきました。
記録によると「大砲を撃ったかのような轟音」だったとのことで、いかに大きな音だったかがうかがわれます。
富田在住の小谷政十郎氏が落ちてきた方へ向かうと、除虫菊畑の中で三角形の岩塊を発見しました。
縦横9〜10cmほど、重さは600gほどで、地表から15cmほどめり込んでいたとのこと。
臭いもしており、水につけたら「ジュウ」と音を立てたとも記録されています。
落ちてきたときには、富田村や近くの住民およそ50人が、北から南へ煙のような尾を引きながら落ちる物体を目撃していたとのことで、隕石と判断されました。
富田隕石と名付けられましたが、しばらくの間、この隕石は行方不明になっていたと伝わっています。

1953年(昭和28年)、当時、浅口郡金光町の金光学園天文部で講師をしていた藤井永喜雄氏が、この富田隕石を捜索。
その結果、落下地点の畑の所有者の弟が、隕石を保有していることを突き止めました。
そこで、この隕石を国立科学博物館の村山定男氏が科学的解析を行ったところ、かんらん石を主にした石質隕石であることが分かりました。
その後も引き続き所有者が保管していましたが、現在は倉敷科学センターにて展示されています。
また落下地点には現在、落下地点を示す石碑が建てられています。

実は富田隕石を触ったことがあります

経緯は伏せますが、倉敷科学センターに展示される前に、私はこの隕石を直接触ったことがあります。
時期は忘れましたが、確か10〜15年くらい前だったはずです。
富田隕石はとにかく重かったと記憶しています。
大きさはそんなに大きくなく、野球ボールほどの大きさですが、ずっしりとしていました。
黒い部分はややザラザラとした感触だったように思います。
国立科学博物館での調査の際のものなのか、私が触った時にはすでに削られて内部が見えた状態でした。どことなく鉄のような感じがしたのを覚えています。

いずれにしても、今となってはかなり貴重な体験をしていました。しかしその時は半信半疑でしたし、触ったこともすっかり忘れていました…
妻と倉敷科学センターへ行った際に展示されているのを見て、その時のことを鮮明に思い出し「これ、昔、触ったことあるわ!」と思わず言った程です。

玉島周辺には他にも隕石が…

玉島の隣、浅口市金光町にも隕石が落ちていました。
金光町佐方に1908年(明治41年)、4月21日、こぶし大の石が落ちてきました。
近くに住んでいた子どもがこれを拾い、家に持ち帰りましたが、父親に怒られて近くの池に捨ててしまったそうです。
残念ながら現在はどの池に捨てられたのかすら判明しておらず、隕石自体は行方不明となっています。
隕石落下地とされる場所には1985年(昭和60年)になって「金光佐方隕石落下地」石碑が建てられましたが、玉島笠岡道路の建設予定地のため、移設されたとのことです。

真偽不明ながら、金光町には1902年(明治35年)にも大谷へ隕石が落ちたと言う話もあります。
いずれにしても、明治から大正にかけて玉島やその周辺には次々に隕石が落ちており、宇宙に好かれていたのかもしれませんね。