平成31年大相撲初場所で初日から3連敗を喫した横綱稀勢の里関のニュースに接し、ふと思いました。
社会人にとって物事から撤退するタイミング、引き際って大切だと思うんです。
私自身、撤退するタイミングを逸した経験があります。それを元に、引き際の大切さを考えたいと思います。
※稀勢の里関はその後、1月16日に引退を表明しました。
撤退は傷が浅いうちの方が良い
引き際って重要で、誰しもが一度や二度は物事から撤退する場面に出会ってると思う。そこでしがみつくなら死ぬ気でしがみついた上で“勝利”を得ないといけないけど、はっきり言って追い込まれた状況で次に勝つのはほぼ不可能。ならば傷が浅いうちに撤退する決断をしないといけない。
— 育休中のこばしつばさ (@KTsubasa) January 15, 2019
傷が浅いうちに撤退できれば、そのあとの選択肢が増えるけど、傷が深くなると修復が困難になることすらある。 https://t.co/53HTr5N9zD
— 育休中のこばしつばさ (@KTsubasa) January 15, 2019
Twitterでも少し触れましたが、早めに撤退するのが理想だと思います。
早めに決断を下すことで、次の道へ向かいやすくなるからです。
私自身の経験
私は決断を下せず、タイミングを逸して軌道修正に時間がかかった経験があります。
高校卒業後、岐阜大学へ進学しましたが、中退した事については、以前記事で触れています。
中退に至る経緯ですが、わりとクズいんですけどね…
- 大学進学したことで一人暮らしを開始した
- 親の目がなくなり、大学に行かなくても怒られなくなった
- 専門科目の授業が理解できず、やる気が出ずに欠席するようになった(全学共通教育科目は出れていた)
- 1年生から2年生に上がる関門があったのだが、欠席日数が多くテストも解けず、専門科目の授業の単位を落としてしまい、進級できなかった(最初の留年)
- この段階で父より「辞めて働け」と言われた記憶はあるが、実家に帰りたくないのでなんとか説得して大学に所属し続けることに
- それでも「授業の履修登録はして、最初は出席するものの、途中で欠席するようになり、気が付くと出席日数不足になる科目が出る」ことが続いた
- それでも1年生を3回やってなんとか2年生に進級した (1)半期で2単位とか4単位とかずつ取ってたような記憶 がより高度になる専門科目に付いていけず、単位をほとんど取得できなかった
- 3年生に上がる関門は無かったが、2年の科目を落としていたため、実質的に2年生をやり直すことに
- 3年生(5年目)の前期開始時点で4年生への進級は絶望的だったが、履修登録はしていた
- この学期もほぼ単位取得はできず
- 3年生(5年目)の後期も履修登録はするが出席できず、当然の結果として4年生へは進級できない事が期末試験開始前にほぼ確定
- 両親および学年の担任教授 (2)正式な役職は忘れたけど、各学年に担任的な役割の教授がいたと話し合い、中退が決定(1月中の話だったと思う)
- この段階で話した内容としては「大学には最大8年間在籍できるけれども、すでに5年間が終わっている。」「このあとの3年間、毎学期フルで単位を取得しなければ卒業出来ないが、これまでの取得状況を考えると極めて難しいのではないか」という内容だった…と思います。
あらためて振り返ると、5年間をほんと無駄にしてしまった感がハンパないです…書いていて心が痛くなりました。
5年間もかける前に中退するタイミングはあったのでは?
引き際という意味で、中退するタイミングはもっと早い段階であったはずです。
- 最初の留年の段階
父から中退を勧められた段階で受け入れておけば、より早い段階で進路修正が可能だったはずです。
別な短大や専門学校、あるいはFランと言われるような私大へ入り直して、より違った事ができていたでしょう。1浪したのと変わらない年齢ですから。
しかし当時の私は「1留ぐらいならまだ大丈夫。」「ここから巻き返せる」と根拠もない自信がありました。実家に帰りたくないという思いもありましたが。 - 2回目の留年の段階
この段階でも同様ですね。2浪した年齢ですしね。あと「2留ぐらいなら…」と言う気持ちもありました。 - 2年生(4年目)から3年生(5年目)に上がる段階
ここは、先を見通しておくべきだった段階でしょう。
それまでの4年間でろくに単位が取れていないのに、そのあとの4年間で取得できる見込みなんて無いと気付くべきでした。
しかし、ここでも「全部単位を取れば卒業出来るから問題無い」と非現実的な夢を描いていました。
どの段階であっても、現実的に先を予想しておけば傷が浅い段階で中退できていたでしょう。
1度留年した段階で卒業に向けてがむしゃらになればよかったのでは?
逆に何が何でも岐阜大学を卒業するという目標に向けてやりきるという方法もあったと思います。
しかし、学習意欲を喪失していたため、もはや工学部では無理でした。
学部を変えるなどという方法もあったことでしょう。実際、最後の担任教授との話ではそういった話題も上ったと記憶しています。
しかし、その話が出た時点では時間が足りなさすぎました。
最初の留年の段階で進路変更を考えていれば…というレベルです。
いずれにしても、中退は不可避であったように思います。
正職員として看護師になれたのは不幸中の幸いだった
中退後、紆余曲折あって看護師として現在の病院に就職しました。
これは不幸中の幸いとも言えます。
大学5年通って中退した段階では、「ただ単に年だけ食った高卒のおっさん」でしか無いからです。
傷はかなり深いと言えるでしょう。
その後の「何らかの国家資格を取る」という路線がなんとかうまくいったおかげで、正職員として勤務出来ています。
しかし、高卒から10年、スムーズに大学を卒業した同級生からは6年遅れた、専門卒での新社会人は、やはり遅いと言えるでしょう。
また、履歴書にズラズラと大学や専門学校が並ぶ様は、就職の面接の際にツッコミの対象となったため、ちゃんとした理由が言えないとしんどいです。
いずれにしても、より早い段階で進路変更をしておけば…と思います。
確かに引き際を見極めることは難しいけれど
確かに、引き際を見極めることは難しいです。
過ぎてみて振り返ると、より適切な引き際が見つかります。しかし、現在進行形で考えていると、「状況が好転するのではないか」「ここから(現実には不可能と考えられるにもかかわらず)これだけやれば大丈夫」「これぐらい大したことない」などと、撤退することに対して否定的な理由を並べがちなものだと思います。
稀勢の里関にしても、メンタル面の弱さもあるでしょうが、「明日から勝てば大丈夫」「もっと負けている力士だっている」と言った考えがあるのではないでしょうか。
自分の立場や身分を考えたうえで客観的に考えられていないからこそ、ここまで泥沼にはまっていると思います。
私の事例は大学中退の判断という場面ですが、大学を中退することはマイナスの側面が大きいように捉えられます。
現在の日本社会は猫も杓子も大学を卒業するような社会です。
いわゆるFラン大学でも、卒業さえしていれば高卒よりも上に見られるような社会です。
一方で、大学を中退していると「何かあったのではないか」「物事を継続して頑張れないヤツなのだろう」などとマイナスのイメージを持たれてしまいます。
そのため、徐々に非現実的になっていく「大学を卒業する」という目標に拘ってしまう結果となったと思います。
客観的に考えれば、大学を卒業することが非現実的になっているのだから、さっさと諦めるべきでした。
非現実的な目標に拘りすぎることこそ、人生の汚点だと思います。
夢を持つことは大切ですが、同時に現実を見て行動することも必要です。
現在の状況を捉え、これから後に取り得る現実的な路線はどういったものかを考える必要があるのではないでしょうか。
そして決断は早くすること。引き延ばすと状況は悪化します。自然に改善することなんてほぼあり得ないでしょう。
それが引き際を見極めるという事だと、私は思います。
References