別にわざわざ記事にするほどのことでも無いのかもしれませんが、一度ここで整理をしておこうと思いまして。
このブログは「ワインレッドのつばさぶろぐ」と名乗っているわけですが、元々はファジアーノ岡山の観戦記みたいなものをやろうと思っていた時期があるのです。ワインレッドはファジアーノ岡山のチームカラーから来ているのですね。
実際、現時点で非公開としている記事の多分3分の1ぐらいが見にいった試合の感想を書いた物でした。
しかし、TwitterやMastodonで投げているように、今年のある時期からファジアーノ岡山の観戦をやめています。
なぜ私がファジの観戦をやめるにいたったか、そして趣味とはどうあるべきかという私の考えをまとめます。
ファジアーノ岡山を見るようになったきっかけを簡単に
…とりあえず、簡単にまとめたpostがついったーにあるのでこれで。
岐阜市民だった頃のお話。
四国アイランドリーグいいなぁ。岡山もプロ野球チームできないかなぁ
↓
え、岐阜ですらプロサッカーチームできたの。岡山なにしてんだよ。
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ふぁじあーのおかやま…?なにそれ。J2入り目指して1個下でやってんの?まぁ当分無理やろなぁ…(2008年)続く
— 育休中のこばしつばさ (@KTsubasa) June 22, 2016
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ファッ!?なんかJ2昇格してまったがや!
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うっわ、よええ…岐阜には勝ってくれよ
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/(^o^)\ (2009年長良川にて初観戦0-4)
でも岐阜で岡山感じて、なんか気持ちいい…
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いろいろあって岡山帰ってきて2011年夏頃からハマり出す(— 育休中のこばしつばさ (@KTsubasa) June 22, 2016
補足すると、2010年に岐阜から岡山に帰ってきたのですが、岡山に帰ってきてからしばらくはカンスタへは行っていませんでした。
一人で行くのがちょっと怖い、スタジアムが家から遠い (1)岐阜在住時は長良川競技場まで自転車で行けました 、というあたりが理由ですね。
2011年夏に「このままだと1回も見にいかないのでは無いか」と思って、確か札幌戦だったかな?意を決して見にいったら勝っちゃって、それがきっかけではまりました。
基本的には応援をしたくてGATE10・ゴール裏に行き、そこでできた知り合いはもちろん、Twitterでもサポ仲間に出会うようになりました。さらに小学校の同級生に再会したりと、ファジアーノ岡山は自分の中で欠かすことのできない存在になりました。
ネクスファジ活動終了という一つのきっかけ
確か2012年だか2013年だかから、セカンドチームのファジアーノ岡山ネクストをかなり見ていました。
2014年にJFL昇格してから2016年まで、ネクスのホームゲームは多分ほぼ全部見にいったはずです。
中国リーグ時代に、トップチームでは味わえない「俺たちと共に」という感覚を味わってからハマっていました。
2016年シーズンをもって活動終了しましたが、これがある意味できっかけになっている感はあります…が、メインの理由ではないですね。
私の中で壊れてしまった瞬間「ぶちくらせ事案」と、その後のゴタゴタ
今更蒸し返すのもどうかと思うのですが、私の中で確実に「壊れた」のが、2015年11月8日に長良川陸上競技場で起きた「ぶちくらせ事案」です。
この事案以前にも、応援の中心メンバー(主にCURVA ROSA)やその周囲の人間の目に余るような行動に対して嫌悪感を抱くことがありましたが、応援自体はしっかりとやっていた(と感じていた)ため、応援に対しては絶対的に信頼していました。
しかし、ぶちくらせ事案は私の中で持っていた信頼感を全てぶち壊されました。
「あんなことをする人の仲間と思われたくない。また、自分自身、今後彼らを目に入れたくも無い。」は未だに根底にあります。
2016年以降、ホームゲームはメインスタンドから観戦していました。
ただし、以前ほどの熱は無く、仕事の休み希望も試合に合わせると言うことが減りつつありました。
プレーオフに関してはかなり熱くなりましたが、一時の物でしたね…
そんな折の2017年8月のアウェー岐阜戦における観戦者同士のトラブルの知らせと、応援団体であるCURVAとそれに対抗・対立してできたDRBで起こるトラブル、違反行為の頻発、豪雨災害後のCURVAやDRBの対応、サポの対立…
クラブ自体ではなく、周囲でおこるゴタゴタは間違いなく私の中の熱を冷ますものになりました。
ただただクラブを応援したいだけなのに、その周りであまりにもストレスが多すぎる。
お金を払ってイヤな思いをするのはもうゴメンです。
そして、今年、6月27日の東京ヴェルディ戦再開試合を最後に、西日本豪雨以降は実質的に観戦をやめました。
9月29日の倉敷市サンクスマッチだったアルビレックス新潟戦については、玉島への引っ越し直後であったこともあり、倉敷市民として観戦に行きましたが、これはある意味で「最後の節目」という意味がありました。
ストレスを感じる行為は時として趣味にならない
そもそも趣味とはどういうものでしょう?
生活の中に彩りを与え、自分が熱中できるものだと私は捉えています。少なくとも私にとって、ファジアーノ岡山は2015年まではそうでした。
しかし、一つの出来事がきっかけで熱中できなくなってしまいました。
熱中できなくなってから、観戦することにどこか苦痛を感じるようになり、さらに起こった様々な出来事がストレスとなって、スタジアムに行く意味を見失ってしまったのです。
自分が巻き込まれる物でなくても、自分が信頼できないやつらが仕切っている場所にどうして行かなきゃいけないのでしょう?
クラブ理念を理解してないとしか思えない行動を取るやつらが牛耳っているスタンドで、やつらとともに「ココロヒトツニ」なんて私には無理です。
例え、今は変わったと言われても、もはや信頼感を失っている以上、何を言われても心に響きません。言われるだけストレスになるだけです。
こういった行為は趣味にはなり得ません。行くこと・行うことで、生活に彩りどころか灰色の薄暗い世界にしかなりません。
もちろん、ストレスを感じる趣味もあると思います。
例えばランニング・マラソンなんかは代表的な例でしょう。マラソン大会に出ると、わざわざ高いお金を払って長距離を走るわけです。ストレスにならないはずがありません。
しかし、マラソンやランニングでは、完走なり目標とする距離を走りきれば達成感がありますし、完走できなくても悔しさを覚え、次こそは…という決意も生まれます。
しかし、そういった達成感も得られなくなると、ただただ苦痛でしか無く、趣味として持続する事はできないのでは無いでしょうか。
また、自分で望んで行っているストレスと、他者から否応なしに与えられるストレスでは種類が違います。
他者から否応なしに、「ココロヒトツニなれない」状況に追い込まれることは苦痛でしかありませんでした。
これでは私にとって趣味では無く拷問のようなものです。行く意味がありません。
今後のファジとの関わり方をあらためて
9月29日の倉敷市サンクスマッチを最後に当面の間、スタジアムでの観戦は行わず、ファジ関連の情報を能動的に収集しないようにしています。
受動的な部分ではTLに流れてくる情報や、一部のLINEなどでの情報は把握しています。
将来的に、例えば子どもが生まれた際に、夢パスを使用して休日のレジャーとして活用する事はあるかもしれませんが、これまでのようにホームゲーム毎に観戦という事は行えないでしょう。玉島からスタジアムは距離があります。今後、娯楽・趣味にどこまでお金をかけるのかという部分は常に検討する必要があります。
通勤自体を趣味にしたことで、生活に彩りが加わったのか?
この記事を書いてから4ヶ月ほど経ちましたが、PCXで片道1時間走ることがストレス解消になってる面は大きいです。
また、休日は妻とすごせることも大きいかなと思います。
生活に彩りという面では、PCXで走ることが楽しみでもありますので、 (2)冬になって寒いけどそれでもなお。 やはり彩りには繋がっているのではないでしょうか。
時間の有効活用という部分でも、通勤時間と趣味を兼ねることができるのは得だと思います。
とにかく現代社会は時間が足りません。そういう意味でも兼ねれる部分があるのなら兼ねるというのはアリだと思います。
最後に
あれだけ熱中していたのに、今じゃ完全に冷めている自分がいるのが信じられないです。
ある意味で、少しつまらない人間になってしまったなぁと思います。
ライフステージの変化も恐らく要因の一つだとは思いますが、いつまでも同じように関わる事はできないと思います。
今後、状況が変わってきたら、またスタジアムでお会いできるかもしれません。
その時はよろしくお願いします。
References